貧すれば鈍すという真理
暑いですね!
先週の上海は40度を超え、体感気温は50度近くになりました。死んでしまいます・・
さてそんな中色々あって表題の事を考えるようになりました。人間、どのような状況でも常に正しい判断ができるわけではありません。本当にひもじければゴミだって食べるし、本当に漏れそうな時はどんな汚いトイレだって受け入れるし、あまりにも貧しければ他人の資産を奪うことへの抵抗も小さくなるというものです。
我々の殆どは聖人君子では無いですが、それでもできるだけ正しく生きて無用なストレスとは無縁で居たいものだと思います。
もう闇金ウシジマ君とか読むと本当に気が滅入るじゃないですか。何アレ?
なんであんな漫画あるの・・・
とは言え、追い詰められた人間の描写に関しては優れていると言わざるを得ません。人は足りていなければ何でもするしどこまでも落ちるものだと私は思います。
だからこそ我々は自分の身を守るために相応の努力をしなければならないのです。この相応の量は人によって異なります。
比較的恵まれた環境に生まれた人は比較的容易にウシジマくんとは無縁の生活に身を置くことができるでしょうし、底辺あたりで生まれた人はおそらく一般の人より何倍もの努力を必要とするでしょう。
私は底辺が嫌いです。地元へのこだわり、友人を異常に大切にしているふりをする姿勢、貧乏、パチンコ・パチスロ、ドンキ、タバコ、安い酒、ケバい女、無教養、テレビ大好き、もういくらでも書けてしまう。大嫌いです。
おそらく恵まれた人は上記私が憎むものに触れずに生きてきているので、嫌いでは無いかも知れません。私はこれらに若干かすった時期もあるためとにかく近寄りたく無いという思いが非常に強いです。
今時点で一定以上の収入や資産があり、えらそうな事を言っている誰しもが一回それらを失ってしまえば底辺の発想に簡単になってしまうわけです。よく起業家が失敗を恐れるな的な話をしますが、取り返せるレベルの失敗であれば良いですが本当に失敗してしまうと多分這い上がる事は容易では無く、やっぱり失敗は怖いのです。
人生においてある程度成功していれば、周りもそのような人だけで構築することになるので人生はとても楽になります。物の値段など見ずに買い物をし、クレジットカードでいついくら引き落とされるのか把握する必要が無く、むしろ欲しいものも無いので使うお金も減るというのが基本的な基準です。
自分が貧したらめちゃくか鈍することがわかっているだけに、貧しないために頑張るという感じです。
個々の人間、正直大差無いです。
蚊も殺せないような苦労しらずのお嬢さんも、一皮剥けばその辺のアバズレ(笑)になりうるのです。
だからこそ、だからこそ、その自分の弱さを受け入れた上でそこから逃れるために努力をするのです。
頑張りましょうね。
毎日歯車だと?サラリーマンなめんな。
会社員として毎日会社に行くことを社会の歯車と揶揄する事って多いよね。
そして決まってそれは単調でつまらないものとして使われる。
実に浅薄で無知で無能であると言わざるをえない。
よほど下っ端で会社から全く大事にされていない人だったんだろうなとしか思えない。
会社は自分の時間を切り売りして小さな対価を得る場所では無い。それは社員という名を借りたアルバイトだ。
会社とは、自身の価値というカードを賭けて何十倍ものレバレッジを期待できるにも関わらず、もし負けたとしても賭けた分以上に取られることは無いという、賭ける回数が複数回あれば絶対に勝ててしまう魔法のスロットマシンのようなものなのに。
この意味がわかる人間だけが会社を利用して勝利することが出来、この意味がわかる人間を採用できた会社は成長することができるのだ。
仕事ができるようになりたい
ですか?
具体的には
・出世して給料を上げたい
・仕事ができると周りから言われて一目置かれたい
とかですかね。。
どんな仕事をしてても良いのですが、もし会社員であるならばやるべきことはある程度見えてきます。
1.自分の役割として与えられた仕事が上手になることを目標にしてはいけない。
2.まずなぜ自分がその仕事をやっているのか、その仕事は会社の中でどういうパートなのかを調べよう。
3.そもそもその会社は何を売ってどれくらい売上が出てその中で利益はいくらくらい出て損益分岐点はどの辺に存在していて、商売の流れがどのように分解されて色々な役割に割り振られているかということを頑張って理解する。
4.そうするとなぜ自分がその仕事をやっているかがわかって、頑張る理由が理解できるようになる。
5.全体の構造がわかっていると何を頑張れば良いかが自然とわかるようになるので、少なくとも全体を理解していない人よりは、はるかに高い効率で成果を出すことができるようになる。
6.いつの間にか仕事ができると言われ、出世している。
という感じですかね。
個人事業主とかスペシャリストで無い限り、1ばかりやっていても一生下っ端です。もちろん新卒で入社したり中途でも入社したばかりの頃は与えられた仕事は一生懸命やるわけですが、仕事が与えられるということ自体が下っ端である事を知りましょう。基本的に仕事は自分で作るものであり、それを自然に理解できるようになってはじめておいら仕事できちゃうもん協会への入会資格が得られると思ってください。
常に視座を高くもち、直属の上司、例えば課長から何か命令を受けるとしたらその上の部長とか社長はどういう意図をもってその課長にそういう指示を出させているのかを考えてみると良い訓練になると思います。
「仕事ができる」って一体何なのか
社会人として20年も仕事をしていると、同じサラリーマンという、会社から給与をもらう立場でありつつもその年収は10倍くらい平気で差が生まれます。
突出した上下3%くらいカットすると下は300万、上は1500万くらいでしょうか。
私の周囲には、仕事ができそうな人が多く居ますが仕事ができるという抽象的な表現は具体的に言うと多くのパターンに分けられると思います。
■「仕事ができる」を具体的に言うと・・・
○作業のスピードが早い。正確に同じ事を繰り返すことができる。(ワーカー目線)
○共感力が高く理解のスピードが早い。(一般社員目線)
○人物好感度が高く初対面の人と仲良くなるスピードが早い。相手の購買意欲を刺激するのが上手。(セールスパーソン目線)
○PCスキル、プログラミングスキル等専門知識が豊富で応用力がある。(専門職目線)
○共感力が高く人を動かす事が得意。俯瞰して物事を判断できる。(管理職目線)
○メスの扱いが上手い(外科医目線・水商売目線)
等いくらでも書けますが、はっきりいって仕事の数だけ「仕事ができる」の内容は異なるわけです。
どんな人でもその人にあった仕事は存在すると私は思うのですが、あるスキルは優れていてもそのスキルの対極にある要素は劣る事が多く、どんな仕事でも「デキル」というのは不可能です。しかし当然人によって対応可能範囲には大きな違いがあります。
ですので、現在「仕事ができる」と言われている人は自分が活躍しやすい仕事に幸運にも巡り会えた人であると言い換えることもできると思います。
元々の基礎能力が高めの人は仕事ができると言われるポジションにつける可能性が高いのは言うまでもありません。
そして仕事や職務の内容によって得られる収入には大きな差が生まれます。
つまり、高い収入が得られやすい職務への適性が高く、且つその職務へ幸運にも就くことができたという2つのハードルをクリアした場合、高年収になるのかなと。
何が言いたいかと言うと色々な事が言いたくて、一つは「仕事ができる」としてもそれは割りとたまたまの要素が高いので調子に乗っちゃいけないよということと、「仕事ができない」と言われたら我慢しないでとっとと転職した方がいいよってことです。
東芝がこんな事になる今の日本において、たまたま就いた自分に合ってない仕事に固執する必要は全く無いと思います。同時に自分に合ってるおいしい仕事に就けたとしても安穏と過ごせる期間はもしかしたら思っているよりも短いかも知れないわけです。
新卒とかがよく自分は何がしたいのかという事を考えたりしていますが、それって実は結構おこがましくて、本当に考えないといけないのは自分は何ができるのかという謙虚な自省だと思うのです。
まあこういう結論も無い取り留めのない状態でも好き放題書き捨てられるというのが勝手ブログの良さでもあり・・そのうち整理して書き直します。
面接前の企業研究を強要する企業について
先日ある会で知り合った上海のある日系企業の代表者が言ってました。
「最近の中国人採用候補者は面接時にうちの会社のことを全然調べて来ない。そういう奴は全部落としてる!」
うーーーーーん。。
気持ちはわかる。わかるが、、、あまり賢い対応では無いですね。
応募側にとって見ると、入社を検討する会社を調べるのは完全に自分のためにやるものですね。
そして日本では面接マニュアル的な情報に溢れているため、面接前にできるだけ相手の企業を調べて、自分がどれだけその会社に入りたいかをアピール!みたいな変な常識があることもわかります。
しかしここは外国。そして中国。
給与レベルの低いワーカー層がその会社を面接前にじっくり調べたりすることは基本的に無く、更にいうと最早上海において日系企業に勤める価値は相対的に激減しています。
相対的にと言うのは、ローカル企業がすごい勢いで成長し給与相場も上昇しているのに対し、業績が停滞・下降している日系企業の給与相場は最早ローカル以下になっている場合も少なくない、国営企業の場合給与は低くても福利厚生がやたら恵まれているのでその差を補って余りある状態。
市場全体が売り手市場であり、日系企業がその中でどんどん人気が減っているにも関わらず以前と同じような採用方針で候補者の能力を知ろうともせずに切ってしまうわけです。
それじゃあ良い人なんかとれっこ無いわけです。
日系企業でも、業績を伸ばしている会社の代表者は各種のマーケット状況にも明るく、その時必要な判断を必要なタイミングで下しています。
一方で業績を伸ばせていない企業はやっぱり代表者もどこかずれている人が多いです。
私としては海外で働く日本人をもっともっと増やしていきたいです。
しかしやっぱり適性の壁は少なからず存在していて、割りと物事に固執するタイプは正直苦労する場合が多いですね。
それが良い方向に働けば素晴らしいプロダクトやサービスを作ることもできるわけですが、ことマネジメントとか経営という観点だと海外では物事へのこだわりが少ない人の方が向いていると感じます。
不測の事態は日々起こるので、さっさといらないものを捨ててより可能性の高い方に方向転換できる人が向いているように思えます。
その辺は性格診断テストでかなり見えるので、海外人材の選定はある程度機械的にふるいにかけてみたりしても良いと思います。