「仕事ができる」って一体何なのか
社会人として20年も仕事をしていると、同じサラリーマンという、会社から給与をもらう立場でありつつもその年収は10倍くらい平気で差が生まれます。
突出した上下3%くらいカットすると下は300万、上は1500万くらいでしょうか。
私の周囲には、仕事ができそうな人が多く居ますが仕事ができるという抽象的な表現は具体的に言うと多くのパターンに分けられると思います。
■「仕事ができる」を具体的に言うと・・・
○作業のスピードが早い。正確に同じ事を繰り返すことができる。(ワーカー目線)
○共感力が高く理解のスピードが早い。(一般社員目線)
○人物好感度が高く初対面の人と仲良くなるスピードが早い。相手の購買意欲を刺激するのが上手。(セールスパーソン目線)
○PCスキル、プログラミングスキル等専門知識が豊富で応用力がある。(専門職目線)
○共感力が高く人を動かす事が得意。俯瞰して物事を判断できる。(管理職目線)
○メスの扱いが上手い(外科医目線・水商売目線)
等いくらでも書けますが、はっきりいって仕事の数だけ「仕事ができる」の内容は異なるわけです。
どんな人でもその人にあった仕事は存在すると私は思うのですが、あるスキルは優れていてもそのスキルの対極にある要素は劣る事が多く、どんな仕事でも「デキル」というのは不可能です。しかし当然人によって対応可能範囲には大きな違いがあります。
ですので、現在「仕事ができる」と言われている人は自分が活躍しやすい仕事に幸運にも巡り会えた人であると言い換えることもできると思います。
元々の基礎能力が高めの人は仕事ができると言われるポジションにつける可能性が高いのは言うまでもありません。
そして仕事や職務の内容によって得られる収入には大きな差が生まれます。
つまり、高い収入が得られやすい職務への適性が高く、且つその職務へ幸運にも就くことができたという2つのハードルをクリアした場合、高年収になるのかなと。
何が言いたいかと言うと色々な事が言いたくて、一つは「仕事ができる」としてもそれは割りとたまたまの要素が高いので調子に乗っちゃいけないよということと、「仕事ができない」と言われたら我慢しないでとっとと転職した方がいいよってことです。
東芝がこんな事になる今の日本において、たまたま就いた自分に合ってない仕事に固執する必要は全く無いと思います。同時に自分に合ってるおいしい仕事に就けたとしても安穏と過ごせる期間はもしかしたら思っているよりも短いかも知れないわけです。
新卒とかがよく自分は何がしたいのかという事を考えたりしていますが、それって実は結構おこがましくて、本当に考えないといけないのは自分は何ができるのかという謙虚な自省だと思うのです。
まあこういう結論も無い取り留めのない状態でも好き放題書き捨てられるというのが勝手ブログの良さでもあり・・そのうち整理して書き直します。