上海に居ながら日本を考える

上海にやたら長く住む日本人が中国と日本を比較しながら様々なことに思いを馳せるよ

能力主義と格差社会が嫌い

当社は能力主義で力のある人を高く評価しますというのは今や珍しくも無いフレーズです。

これは、裏を返すと「当社であまり活躍できない人は評価しないので給与も上がらず何ならやめてもらいます」という事でしょうか?それとも、「当社ではあまり活躍できない人でもそれなりの立場を与えて長く働いて欲しいと思っています」という事でしょうか?

どちらのケースもあるのでしょう。

しかし優秀であるというのは基本的に相対評価なので、少数である事が前提になります。優秀とまでは言えない大多数の人はどうすれば良いのでしょうか。

 

つい最近ですが、日本で一人ラーメン屋に居た時、80歳は超えるであろうお婆さんが店内に入って来ました。お婆さんは店員に、「アルバイトの年齢制限はありますでしょうか?」と言われたのです。店員はしばし固まり、「すみません、45歳くらいまででして・・・」と回答しお婆さんは丁寧に御礼を言って帰られました。

この光景が僕は忘れられないのです。大声が飛び交う職場、皿洗いやどんぶりを運ぶ労働、料理の熱さ、誰がどう考えても80歳を超える女性ができる仕事ではありません。

でもそのお婆さんがおそらく勇気を出して尋ねたという事実に胸が締め付けられるのです。

考えるまでも無く、年金での生活が成り立たないからの行動でしょう。

声をかけるか迷いましたが、失礼な事を言ってはいけないと逡巡しているうちにお婆さんは行ってしまいました。

 

搾取される若者、老人世代の勝ち逃げなどと言われ、同時に下流老人、貧困老人などというキーワードも日々見かけます。

 

実際みんな自分の事で精一杯、余裕はありません。

誰を助け、誰を助けないのか、富の再分配のためにこれまで優秀であるが故に資産を形成して普通の人より何倍も税金を払ってきた人から富を取り上げるのか、優秀である事を優遇して生活に困るような人を生み出しても良いのか、優秀であることはそんなに偉いのか、優秀じゃなくても人に優しい人の方が生きる価値は高いのではないか、そういうカルマの量で税金が変わるような仕組みがあってもいいんじゃないかなど妄想が止まりません。

 

頭が悪くてどうすればいいのかがわかりません。

しかし能力主義とか格差社会の容認とかは嫌だなとやっぱり根っこのところで感じるのです。