いや、我々はダウンなど着てはいけない
style.nikkei.comまあ先のブログに書いたような事は当然誰しも考えるわけでそれなりの回答は既に存在するわけですよ。
まあ素材開発にはお金がかかるから仕方無いのでしょうが、やっぱり高すぎて普及する気配があまり無いですよね。何か機能性登山ウェアみたいなのが多いし。
結局開発費を急いで回収しようとすると販売額が高額になって普及しないという事なのでしょうか。
水鳥からどのようにしてダウンやフェザーが取られているかをちょっと調べてみれば、今ダウンウェアを持っている人ほぼ全員が地獄行きなのは確定です。
日本人の宗教観も変わり、堂々と無神論者を公言したり、日本は独特のアニミズム的な八百万の神が云々みたいな話をする人も居たりするわけですが、もっとシンプルな悪い事をしたら罰が下るという価値観が薄れているのは怖いですね。
牛や豚は食われることによって大量に子孫も残せていて生存戦略としては有りみたいな事も聞きますが、水鳥は生存戦略で生きたまま血まみれになって羽根をむしられたいとは絶対思っていません。
この話題は闇が深すぎるのでここまでにしますが、要はダウンやめようぜという風潮がもっともっと広がればいいなと思っています。
そのために素材メーカーが長い時間かけて開発した代替素材を安く市場に出せるようにしたらアパレルメーカーも採用しやすくなるわけですが、その負担を素材メーカーだけに負わせるのは不合理極まりない。
だけど社会的に意義のあるものに関してはそういう事ができるような仕組みが無いといけないですね。そういう社会の役に立つ事業や会社に専門的に投資するファンドもあります。
せめてそういう形で少しずつでも自分の業(カルマ)を減らしていかないといけないなあ・・
一体いつまで我々はダウンを着れば良いのか
寒いですね!12月に入りました。
上海はほぼ東京と同じかやや低い気温です。ただ湿度が高いので、骨身にしみる寒さは東京以上かも知れません。
さて、私の長年の疑問が「ダウンジャケット・ダウンコート」達です。グース達の羽毛は天然の資源でありその空気を取り込み一定の通気性を持つ性質は古くから人間に利用されてきています。
中国ではモンクレールやカナダグースが人気であり、かつては偽物もたくさんありましたが最近は本物をちゃんと買う人が非常に増えています。本当にお金持ちになりましたね・・・
しかし私は思うのです。これだけ化学が発達した現在でもわざわざ鴨の羽をむしりとらないといけないのかと。
断熱性とはつまり、熱伝導性の低い空気というものを素材に取り込むわけですよね。ダンボールを服の間に挟んだり、ダンボールハウスが以外に暖かいと言われるのはダンボール自体に空気を含む層があるからです。
ただ通気性と保温性はトレードオフの関係というか、空気をバンバン通したら当然寒いはずなのでそこはバランスだと思います。
で、何が言いたいかというと、熱伝導率の低い化学品で発泡素材を作れば十分ダウン以上のものが作れるんじゃないかと。
もっと言うと調べたところ炭酸ガスは空気の半分近い熱伝導率だから、炭酸ガスによる発泡素材を作ってそれをジャケットに詰めればダウンよりあったかいものが作れるんちゃうんかと。イメージとしては小さいつぶつぶの発泡スチロールです。
何で作らへんねん、東レや旭化成は何しとんねんっちゅー話です。
というか発泡スチロールでももしかしたら十分あったかいんじゃないか??よく燃えるけどな!
まあ私が無知なだけできっとあると思うんですよ。しかしなぞのグース勢力による圧力で市販化できないんじゃないのかと・・
あとめちゃくちゃキュッキュ音がするとか。そんなわけないな。
ダウンよりずっと薄くて同程度に暖かければ、アパレルブランドがほっておくとは思えません。よりシャレオツなコートが安価に作れるわけですよ。
どなたか素材メーカーの方、どうなっているのか是非教えていただけると嬉しいです。
皆も知りたいはず!!
能力主義と格差社会が嫌い
当社は能力主義で力のある人を高く評価しますというのは今や珍しくも無いフレーズです。
これは、裏を返すと「当社であまり活躍できない人は評価しないので給与も上がらず何ならやめてもらいます」という事でしょうか?それとも、「当社ではあまり活躍できない人でもそれなりの立場を与えて長く働いて欲しいと思っています」という事でしょうか?
どちらのケースもあるのでしょう。
しかし優秀であるというのは基本的に相対評価なので、少数である事が前提になります。優秀とまでは言えない大多数の人はどうすれば良いのでしょうか。
つい最近ですが、日本で一人ラーメン屋に居た時、80歳は超えるであろうお婆さんが店内に入って来ました。お婆さんは店員に、「アルバイトの年齢制限はありますでしょうか?」と言われたのです。店員はしばし固まり、「すみません、45歳くらいまででして・・・」と回答しお婆さんは丁寧に御礼を言って帰られました。
この光景が僕は忘れられないのです。大声が飛び交う職場、皿洗いやどんぶりを運ぶ労働、料理の熱さ、誰がどう考えても80歳を超える女性ができる仕事ではありません。
でもそのお婆さんがおそらく勇気を出して尋ねたという事実に胸が締め付けられるのです。
考えるまでも無く、年金での生活が成り立たないからの行動でしょう。
声をかけるか迷いましたが、失礼な事を言ってはいけないと逡巡しているうちにお婆さんは行ってしまいました。
搾取される若者、老人世代の勝ち逃げなどと言われ、同時に下流老人、貧困老人などというキーワードも日々見かけます。
実際みんな自分の事で精一杯、余裕はありません。
誰を助け、誰を助けないのか、富の再分配のためにこれまで優秀であるが故に資産を形成して普通の人より何倍も税金を払ってきた人から富を取り上げるのか、優秀である事を優遇して生活に困るような人を生み出しても良いのか、優秀であることはそんなに偉いのか、優秀じゃなくても人に優しい人の方が生きる価値は高いのではないか、そういうカルマの量で税金が変わるような仕組みがあってもいいんじゃないかなど妄想が止まりません。
頭が悪くてどうすればいいのかがわかりません。
しかし能力主義とか格差社会の容認とかは嫌だなとやっぱり根っこのところで感じるのです。
採用ネタその2
知人から聞いた話。
中国である日系企業の採用面接に参加した中国人が、その現地法人の社長から
「ずっとうちで働けますか?何十年も」
って聞かれたんですって。
その社長としては、中国人はすぐ辞めると聞いていたからそういうこと
言っちゃうんだろうなーと思うんですが、まあ百歩譲って優しく回答したとしても
「まだ働いてないのでわかりません」
ですよね。
百歩譲らないとすれば
「それはあなたの会社次第です」
ですね。
結局社長から言われたその一言でその人はそれ以上の面接を辞退したそうです。
かなり優秀な人だったそうなんですけどね。
社長のアホな発言でこういうことも起きるわけです。
日本人が外国人を採用する時、こういうことは実はよく起こります。
なんかワーカーを雇う感覚っていうか、いまだに日本がアジアの盟主だという認識のまま上から目線で接してくるわけです。
市場は完全に売り手市場であり、不人気な日系企業は相当努力しないと優秀な人間を採用できないのに。
それで優秀な人を採用できず、できんぼを採用したあげくに中国人はすぐ辞めるだの使えないだの日本のメディアで言ったりするわけです。
正解は自分の採用力が低いということなのに。
このギャップはいつか埋まるんでしょうか・・・
転職回数が少ない方が良いという無能はすぐに転職しろ
やれやれ・・・日系企業の採用担当者のポンコツっぷりには本当に頭が下がります。
日本の会社ではいまだに転職回数が多いという理由で採用を見送ったりするそうですね。30歳で6社とか経験していると多すぎる!ダメだ!となるらしいです。
ダメなのはお前なのに。
一つの会社に長く勤める事ができるケースを考察してみましょう。
1.能力的にどハマりして活躍しまくって出世している(転職市場には出てこない)
2.転職できる市場価値を持たないので動けない
3.そこそこ活躍はしているが欲が無いので動かない
4.そこそこ活躍はしているが転職は怖いので動けない
5.そもそも会社のお荷物だが日本的慣習でクビにならない
まあ大体こんなもんですよ。99%は2,3,4、5ですね。
そもそもこういう人たちが欲しいかっていう話ですよ。向上心と野心があり、周りより能力が高いのであれば既存環境に見切りをつけて新しいチャレンジをするのがワールドスタンダードです。
日本の生産性を上げるには、できるだけ多くの人がより活躍できるポジションに就く必要があります。そのためには日本企業の採用方針が変わらないといけません。
まず同じ会社でずっと人事をやっているような無能は解雇する必要があります。人事は本来高度な専門職であり、キャリアを高めることも色々可能です。
だから一つの会社で10年以上人事やってますみたいなのはまあほぼ無能と言えるでしょう。
実際は日本の慣習がまだ変わってないのでそうでは無いのですが、これを無能と言い切るくらいの社会にしないと海外との競争には勝てないという話です。
何度でも言いますがもう人口ボーナスによる高度成長はとっくに終わっていて、もうすぐ団塊が死に始めて社会構造が急激に変わっていきます。
東芝があの様で、日本メーカーの携帯など日本以外では誰も使わず、シャープは鸿海に買われ、生産性は先進国最低ランクと言われ、連日の株高は全部外国資本で、政治には老人しか居らず、誇れるのは過去の資産だけ。満身創痍とも言えるでしょう。
老人の国として静かに滅びるのが良いのかも知れませんが・・。
若い人にはできるだけ早く日本的常識を打ち破ってもらい、挑戦する価値を認識して欲しいです。