上海に居ながら日本を考える

上海にやたら長く住む日本人が中国と日本を比較しながら様々なことに思いを馳せるよ

メールの送り逃げをする人々とか

自社の社員を含め、うーん、、頼むぜ・・・と感じてしまう行動。

 

1.重要な報告を退社時の日報などに記載する

 

上司が日報見て「おい、ちょっとこれ・・・」となっても本人は既に退社。できない人の共通点として、メールを溜めてまとめて送る傾向が強いと感じます。その内容が重要かどうかは本人にはわからないことも多いですが、「後で日報にも書きますがあの件こういう状況です」とさらっと口頭で言うことができれば、迅速な指示によるリカバーも可能です。意外とこういう人多いんですよね。

メールを送る用事が発生してから送るまでにタイムラグがある人は要注意です。

昼休みも同様です。昼休みに入るタイミングでまとめて関係者にメールを出し、内容に問題があって確認しようと思っても不在。割と困る。

 

 

2.スカイプなどチャットツールで、「〇〇さんいらっしゃいますか?」とか書く人

 

チャットの良いところは、電話のように相手の時間を拘束せずに言いたいことを伝えられて受け手は都合の良い時間に見ることができる点ですね。

にも拘わらず、「いますか?」とか、「お疲れ様です!」とか書いて相手の反応を待つ奴。

チャットが鳴れば、ん?とこちらは注意を向けるわけです。そのまま要件をどんどん書いてくれればそのまま時間あれば即レスするのですが、手が離せないときは後でレスしたいわけです。それなのにずっとこちらが返答するまで待つ奴が困りものです。

こちらが「いますよ」とか「お疲れ様です」とか反応するまで待ってやがります。

これ結構(#^ω^)ピキピキしますね。

 

という感じで普通のビジネスセンスをベースに多少の想像力があれば起こりえない事ではありますが、結構多いんですよね。

はあ・・・・

 

ただの愚痴投稿でした。

 

悲惨なニュースについて

タイトルだけはどうしても目に入ってしまうのですが、5歳の女の子が親からの虐待で殺されたというニュースがあります。

 

しかし僕はこのニュースをクリックすることができません。その痛みに耐えられないと思うから。

Facebookでも友人たちがこのニュースをシェアし憤慨と怒りの表明をしています。

しかし僕にはどうして子供を持つ親としてそのニュースを読むことができるのかがわからないのです。

 

共感性羞恥という言葉が最近取りざたされますが、これは共感性悲哀とでも名付けるべきか、原理は同じだと思います。

芸になっていない芸人とかを見るともう恥ずかしくてとてもじゃないけど見続けることができないです。

 

同様に悲しすぎるニュースは読むことができません。だって見てももうその子を助けることはできないから。ならば知らない方がマシだと思ってしまいます。

 

子供と動物関係の悲しいニュースはダメですね・・

かわいそうなぞう」という絵本がありますね。あれもなぜそんな悲しい話をわざわざ読まされるのか理解ができません。もうぞうを助けられないのに。

感受性が育つとでも思っているのでしょうか?

心が殺されて不感症になってしまうだけのように思えてしまいます。

 

悲惨なニュースを読み、共感し、SNSに自分が如何にこのニュースに怒っているかを発信できる人。

僕にはあなたが理解できないのです。

 

顧客体験のその先へ ~中国のOMO~

bizzine.jp素晴らしい考察の記事だと思いました。最新の中国を知る意味でも是非長いですが読んでもらえればと思います。

 

日本の弱点として、共存共栄を図るための住み分けが進んだ結果得意とする事業分野以外への投資や挑戦が明らかに鈍いという事があると思います。

10年以上前からITの活用という言葉が叫ばれつつも、それは既存事業の効率化であったり深化に留まってしまいこの事例のようなユーザーの体験を軸に広く事業を構築していくとか投資していくといった会社は皆無ではないでしょうか。

 

この事例を見て危機感を抱かない経営者はいないと思います。

 

しかし自社に置き換えた場合、どのような展開が考えられるのかを可視化できる経営者もまた殆どいないでしょう。

 

これを日本の会社で置き換えて戦略を立案できるコンサルタントや企業担当はこれから輝くでしょうね。しかし日本企業は〇〇だからできない、〇〇のリスクはだれが責任をとるのかといったネガティブ役員だらけですのでこの辺の無能を切っていくことが経営者の責任なのかなと思います。

 

無能とされないためにはひたすら勉強して思考と検証を重ねるしかありません。

新たな価値を受け入れられないように感じたら、自分は最早お荷物であることを認識した方が良いです。

 

 

既に上海はあらゆる建物内が全面禁煙であるという事実

日本より遥かに高い喫煙率である中国も、世界的な嫌煙の流れを受けて変革が始まっています。

かつての中国は昔の日本のようにどこででもタバコを吸いまくる国でした。しかし都市部を中心に変革が始まり、上海市においても昨年(2017年)3月より建物内が100%禁止の条例がだされ、それは基本的に守られています。

 

オフィスビルでも住宅マンションでもあらゆる建物内は禁煙です。喫煙が見つかると罰金ですが、未だにトイレでタバコを吸う人は少なからずいるのも事実です。大抵はそういう条例のない田舎から出てきた出稼ぎ労働者ではありますが。

ただ一方で道端ではいくらでも吸えますので、歩きタバコは極めて多いです。この点は非常に不十分な措置ではありますが、喫煙人口の多さから考えると仕方が無いのだと思います。ただこれも遠くない将来に禁止されることでしょう。

 

ここで言いたいのは、日本でもこの手の議論はありますが「国が決めることでは無い」、飲食店などでは「店に決めさせれば良い」という意見が多いことです。

 

私はこういうことこそ国または地方自治体が決めるべきことだと思います。仮に東京オリンピックでこれまで日本に来たことが無い外国人が東京へ大量に来た時に、レストランでタバコが吸えることを知れば間違いなくあまりの未開さに驚かれてしまうことになります。それくらい既に日本以外の先進国ではタバコへの制限はきついです。

 

こればかりは世界的な流れであり非喫煙者にとっては歓迎されるものですので止めることは難しいでしょう。

喫煙者にできることは諦める以外ありません。だって、その煙は他の人に迷惑なんですから。人に迷惑をかけることに対する権利を主張する根拠は存在しません。

 

 

 

 

 

老後リスクをどう捉えるか

団塊ジュニアの皆さんこんにちは!

広義においては70年代生まれ全てが団塊ジュニアだそうですが、私の感覚だとやはり71~75の5年間に生まれた層のイメージが強いです。

 

さて、この世代を語る際によく出てくる生涯未婚率ですが当然年々高まる離婚率も見過ごせないわけで、出典出すと面倒なのでソース無しですがまあ大体2030年くらいにはこの世代の半分が独身(未婚・離婚)なんですって。

 

流石に60歳になろうという年齢ですからこれから結婚というスキームはナンセンスでしょうし、給与も減ってくるわ体も動かなくなってくる、必死にある程度のお金は貯めたけど巷でよく言う老後には最低5000万円は必要とか言うやつには全く届いていない、、みたいな層がすごい量で発生するわけです。

 

いや、俺は(あたしは)結婚しているし子供もいるし家も買ったから負け組じゃないのさって人もそれはそれで多いとは思うのですが、既に地方では不動産価値ゼロで無料で土地が手に入る状況の中、2030年に果たして自分が頑張って買った物件にどこまで資産価値が存在するのかはあまり楽観的にはなれません。

 

なんかもうお先真っ暗みたいなニュースが多いですけど、よく考えてみてください。人間、ある程度の食事と寝るところと最低限の衣服があれば別にお金が無くたって生きていけるわけです。もう60歳で物欲も無いでしょ。本と少しの友人が居れば十分な気もしますね。

 

その位の歳になってから始まる高齢者向けシェアハウスとかもありえるかも知れないですね・・・。ただ更年期障害とかですげー我儘になってる人も多そうだから知らない人とは暮らしたく無い。だから孤独になった大学(高校)時代の友人とかで改めて集まって共同生活したりするのも良いかも知れない。

どうせその頃はちょっと都会を離れれば家なんかタダなので、田舎に引っ込みつつある程度潤沢な資金でネット購入して足りないものを買いつつ、畑とかやったり趣味の工房作っちゃったり小説書いてなろうに投稿したりして意外と優雅な生活ができるかも知れません。

 

大事なのは世間に押し付けられた幸せのモデルとか価値観を早く捨て去ることだと思っています。自分だけが満足すれば良いのです。そして近い価値観の友達が数人居ればどこでだってきっと生活はできてしまうし、ダメだったら死ねばいいんです。幼くてして亡くなってしまう可哀想な命が世界中に溢れる中、それだけ生きればもう既に十分なんですよ。あんたよくやったよ・・・

 

生に固執しなければ老後の選択肢は驚くほど増えることを想像してみて欲しいです。

 

なまじ80歳とか100歳まで生きたらどうしようとか考えるから金だの介護だのって無駄に考えなければいけないことが増えるのです。

散々準備して子供もいないのに貯金して、脳梗塞で意識も無いままただベッドに寝てるだけになったらどうするのか。その生に価値はあるのかい?

 

私は40代前半ですが、ある意味もう十分に生きたと思っています。あとは稼げるうちに稼いで自分で考えるラストを楽しく過ごし、満たされたらそれで終わりにしようと思っています。怖いのは老後に生にしがみつくような動物みたいになってしまう事だけ。