上海に居ながら日本を考える

上海にやたら長く住む日本人が中国と日本を比較しながら様々なことに思いを馳せるよ

かぼちゃの馬車に住もうと思うか?

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無知な出資者、詐欺師、詐欺銀行に詐欺建築会社、不幸な住人という悲惨なスキームが取りざたされていますね。

しかしこの件でやはり一番注目したいのはスルガ銀行だと思います。個人向け融資率が非常に高いやり手地銀と言われていましたがつまるところこういうことであったのかととても残念に思います。

 

そして、この件で銀行に対する漠然とした信頼が失われることを望みます。安定・真面目・高給といった印象がまだまだ強いと思いますが、所詮金貸しです。

いわゆるお金儲け(中国で言う赚钱)をしようと思う場合、何かを作って価値を創造し販売して利益を得るメーカー的な手法があります。そして価値や物価格差などを利用して流通による差額を得る商社的手法、人がお金を出したくなるサービスを作って提供する飲食等サービス業的手法があります。全て商品やサービスという媒介を経て利益を得るやり方です。

しかし、お金のみを生み出すのはやはりお金そのものを媒介にする金融業に勝る効率はありません。お金だけあればいいからね。

でも、一般的な会社は利益を創出する過程で商品によって文化を作ったり、サービスで人の心を豊かにしたり、そもそも生きるのに不可欠な食事を提供したりとか、明らかに世の中の役に立っています。無論その中で公害やゴミを生み出したりマイナスもありますが。

 

しかし金融業には基本的に価値がありません。

何かを始めたい時に銀行から融資を得てというモデルに意味があるのはわかりますが、クラウドファンディングを始め様々な資金調達手段も発達し、銀行の存在意義はどんどん失われています。

 

私の住む上海でも全てのメガバンに多くの地銀が来ています。金融業として日本企業を助けるという意味でメガバンはまだわかるのです。

しかし地銀、何やってるか知ってますか?なんか銀行業は認めてもらえないから、コンサル企業とか作って日本の顧客企業同士を結びつけるセミナーとかやってるんですよ。

みんな中国に稼ぎに来ているのであっていつでも連絡とれる日系企業なんてわざわざそんなセミナーに出てまで探す必要なんて全く無いんですよね。

参加するのは無知でなにしに来ているか自分でもよくわかってないおじいちゃんばかり。

そんでしょうもない講師呼んで「今の中国は~」とかやってるわけですよ。アホかと。日本でやれと言わざるを得ません。

 

挙句の果てに日本では地銀の合併が花盛り。存在意義が無いから寄り集まって大きくなってみましたという感じですね。ゼロがいくら集まってもゼロなんですがね。

 

まー出資者に同情はしません。昔からこんな詐欺は繰り返されてきたし。

自分で頑張って住人を集めるしか無いですね。

 

スマートデイズも現れては消える詐欺のアブクに過ぎません。

しかしスルガ銀行テメーはダメだ。貸付額に対して土地と物件の価値が低すぎるというのはわかっていたはず。わからないくらい無能だという事を頑張って証明するのでしょうか。

メディアはどれくらい追求するのかな?しないのかな?

 

スルガ銀行さんには是非つぶれて欲しいと思います。株も急降下だけどまだまだ下げたり無いです。詐欺に加担せず真面目にやっている行員も多いとは思うけど、早く転職した方がいいと思うよ。もっと価値のある仕事は世の中たくさんあるからね。

 

 

 

 

漫画文化と日本のテレビ番組の品質への考察

日本人は世界一漫画を読んでいるであろうことは想像に難くありません。

私も結構好きです。

 

最近Amazon Primeでアメリカのテレビドラマである「West World」を見ています。正直そのあまりの品質の高さに目から鱗がボロボロと落ちました。

 

日本ではよく映像作家?とかが日本ではまだこのレベルの作品は受け入れられないという表現をしますよね。何お高くとまっちゃってとか思っていました。

しかしやっとそも意味がわかりました。
多分その筋の人からしたら「West World」で何を言っているんだ思われるかも知れません。

アメリカはおバカ映画やドラマも多いですが、基本的に人間の内面を追求するものが多いと思っています。そしてそのフォーカスはものすごく繊細な部分を照らします。それを見せられた視聴者はその繊細さに心を動かし、創造力を膨らませて楽しむわけです。

 

一方で日本のドラマの何という単純さと画一性。小学生でもわかるようなわかりやすい人物設定で、そこには繊細さのかけらもありません。

 

で、なぜそんなに違うのかを考えてみました。そしてそれは漫画のせいじゃないかと思うようになりました。

どういうことかというと、映像と静止画の違いです。漫画は動かないので、シーン毎に切り出されたコマとしての表現です。一方映像は連続したコマとして流れる表現となります。映像は役者によりその感情の機微や心境などが非常に高いレベルと豊富な情報量で伝えることができます。しかし漫画というのは情報量が映像に比べると極めて少ないため、どうしてもひとまとめにしたわかりやすさにならざるを得ないと思うのです。

 

そして日本人は漫画を通じてそのわかりやすい表現に慣れすぎてしまい、映像世界の繊細且つ膨大な情報量を受け止められない、受け止めたくない人が多いのではないかという仮説を思いつきました。

 

少ない情報量でありながらもコマとコマとの間を想像させるような高レベルの漫画は極めて少なく、実際は切れ切れになってわかりやすいものばかりなのが日本の漫画の実情だと思います。

だからそういう受け止め方に慣れたしまった日本人に対しては、映像においても誰にでもわかりやすい単純なストーリーで、役者についても大雑把で創造力をふくらませる余地の無い演技しか求められなかったのではないでしょうか。

 

完全に思いつきなので多分間違った内容だとは思うのですが、日本の映画やドラマが低レベルな原因の一つでは無いかと思う次第です。

 

 

 

 

台頭する中国とゆるやかに衰退する日本

これ系の記事や意見は死ぬほどありますが、久しぶりに大前研一さんの記事に完全同意したので貼ります。

 

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ジャパン・アズ・ナンバーワンなんて言葉もありましたが、もう無理しなくていいんだよという気持ちもあります。元々人口ボーナスで成り上がっただけでその順番を譲る時が来ただけの話で何の不思議も無いわけです。

 

国の活力が無くなっても伸びる企業は伸びるし稼ぐ個人は稼ぐ。

ただこれまでのように横並びで収入があがっていくような人生設計はできなくなり、より個人の力量が問われる時代になったという理解でいます。

 

海外に出稼ぎに行く日本人も増え、より貧しい国からの外国人就労者も増え、文化も急速に変わっていくことになると思います。察する文化が薄れ、伝えたいことははっきり主張しないと伝わらない社会に変わっていくはずです。当然ナショナリズムはより台頭しますが、ナショナリズムで国の経済がよくなることは無いです。

 

私の世代である団塊ジュニアが死に始める30年後くらいまでは緩やかに衰退し、そこからは早いスピードでの変革になると思います。

次世代の指導者や経営者がこの段階でどれだけ育っているかによって日本の未来は決まることになります。

 

つまり少子化ではあるものの今の子供とこれから生まれる子供に何を残せるかで全てが決まるのではないでしょうか?

 

東京一極集中の解消、教育制度の改革(無料化とかアホな事では無く)、大学の縮小と専門化、これから我々団塊ジュニアがどこまでできるかに全てはかかっていると思います。責任重大です。おそらく我々団塊ジュニアは後の世代から少子化を招いたと責められる世代になる気がします。団塊ジュニアとしては団塊世代が作った社会制度によって少子化を余儀なくされたと言うと思いますが、団塊団塊で当然言い分があるはずです。

戦後の復興を担い、アメリカの傘に入って大国と呼ばれるまで押し上げた(実際は人口増加によるものですが)という自負があるわけです。

 

まあでもこの辺はいくら論じても意味が無いですね。

詰まるところこれからはより「個」で勝負しないといけないわけです。その時代を世代で考えることが無意味かも知れません。

 

大事なのは学ぶことです。日本人の美徳として「勤勉」が挙げられることがありますが、いくつかの新興国を見てきた身として断言できるのは、日本人は全くもって勤勉ではありません。むしろ怠惰な部類です。

でもこれって貧しいから勉強して成り上がろうとするわけで、微妙に裕福になってしまった今の日本人が勤勉では無いのは当然かも知れません。

 

終わりの無い話ばかり書いてしまいました。

我々はお互い一人の「個」として研鑽し、その個が集まることで何かが良くなるのを期待するしか無いのでしょう。

 

 

 

 

 

 

仕事がデキるとは繊細さを失うことか

仕事がデキるということを定義することは非常に難しいですが、合理性に長けた人という言い方はできると思います。

もちろん合理的に進めることが必ずしも得策では無い仕事も存在しますが、比率としては極めて少なく、世の多くの仕事というのは合理性を追求することで収益性を上げるビジネスが殆どであると考えます。

 

多感な少年時代という言い方がありますが、社会経験の少ない若者であるほと多感≒繊細さが強いという事についてはあまり異論は無いように思えます。

日々の小さな事に心を潰され、苦しみ、悩み抜いた日々は誰の心にもあるのではないでしょうか。

 

大人になるということは、様々な経験を積むことに他なりません。密室に閉じ込められて外部からの刺激が無いまま育って人間がいるとしたら、とてもデリケートな性格であると思います。

本題に戻りますが、仕事がデキるという評価によって仲間から頭一つ二つ抜きん出る人を考えてみた際、例えばクリエイターのような感性を売りにする職種などを除くと、合理性を追求するタイプが多いと思っています。企業は生産性を上げることによって収益性が増すわけですから、会社に貢献できる人というのと合理的な判断ができる人というのは非常に近しい存在となります。

 

で、この合理性というのは男性的な脳と近しい存在であり、仕事で活躍される女性というのは男性的な脳を持つ人でもある場合も多いと思います。

合理性は悪く働いた場合に、

・不遜さ、傲慢さ

・冷徹さ、思いやりのなさ

というネガティブな性格となって表れると思います。

知り合いのすごく仕事ができる人は社内的にも誰にも優しくそういう嫌な性格では無いという反論も予想できますが、社内メンバーにどう接することがベターかということも十分に合理的に判断した上での態度なので、社内での態度がその人の本質であるケースはあまり無いと思います。

 

しかし、家庭生活において社内同様の偽装ができる人間は極めて稀です。

仕事で素晴らしい成果を出すことと家庭で素晴らしい夫であることを両立することは、本来非常に難しいものであると思っています。

成功者で家庭も円満という例も多々ありますが、それは多くの場合奥様側が夫の特性を完全に理解し、過度な期待はせずにうまくコントロールし、夫婦間での役割分担が決まっているケースに限られると思っています。つまりほぼ全て妻側の努力によってのみ実現しているはずです。

 

多くの女性は潜在的に合理性を嫌います。繊細で感情の機微を理解し、思いやりのある男性に対して心を開きます。

しかし表面上は収入を重視するため、その合理性に対して最終的に敵対することにより不幸なミスマッチが量産されているのではないでしょうか。

 

女性が真に幸せになりたいのであれば、自身の能力によって高い収入を得た人では無く、親の遺産や引き継いだものによって既に豊富な資産を持ち、あまり戦う必要のない人に愛されることが一番良いように思えます。

 

しかし実際に女性が惹かれてしまうのは、成功体験を重ねて自信に満ち、偽りの優しさをふりまく男性なのです。ああ不幸がまた・・・

 

転職時に前職(現職)企業をけなしてはいけないという風潮について

日本人は転職回数をやたらにマイナス要素として気にしすぎるという意見を以前書いたのですが、同様に新しい企業との面接時に前職(現職)の仕事内容や会社自体をけなすことはご法度と面接指南で良く言われていることに対し強く疑問を感じています。

世の中の企業は、従業員から見て良い企業悪い企業様々です。良い会社だけど給料が低すぎる、頑張っていたけど評価が上司に横取りされる、とんでもなく意地悪な上司が居て仕事にならないなど、転職を考える理由はたくさんあります。

また管理職以上の階層での転職となると、経営者の考え方が今の時代に合っておらず、今後の成長が見込めない、上のポストが詰まってしまっていてこれ以上出世することは難しい、商品・サービスに最早競争力が無くそれを改善する体力が最早会社に残っていないなどこれもまた色々あるはずです。

しかし一度転職活動となれば、今の会社の悪口につながることは言ってはいけないと言われます。これが実に理不尽だと思うのです。

 

無論良いように新しい会社のサービスに強い魅力を感じている部分を伝えたり、どうにでもなる問題ではあります。

でも転職を決意する本質を伝えることができないというのは良くないと思うんですよね。

 

「私はこのプロジェクトに対してこのような取り組みを行い、ここまでの一定の成果は上げることができた。しかしそこから先に進むにはどうしても本社側開発部門の更なる努力が必要であり、交渉を重ねたが結局対応が難しくこれ以上プロジェクトの進展は難しいという結果となった。この仕事を通じて私のやりたい事が明確となり、それがより明確に実現できる御社で力を尽くしたいと考えている。」

 

という建前の転職動機があったとします。これを本音に置き換えると、、

 

「いやー俺頑張ったんですよ。プロジェクト予算も他社に比べると圧倒的に少ない中できることは多分全部やったと思ってます。でも最終的には製品コストであり、ここは最初に泣いてでもこのタイミングでシェアを取らないとこれ以上進める意味は無いんですよね。もう本社とは散々やり合いました。

でも問題の本質を何度伝えても理解できないみたいなんです。高額で雇われた責任者は短期利益しか追求していないんで長期的な視野は持てないし、社長は社長で会議では場当たり的な思いつきのコメントしか出さず、しかも次の会議では自分の言ったことを覚えていない状況なわけですよ。

この状況が打開できると信じて部下がついてきている状態で、俺ももうこれ以上頑張ることに何の意味があるのかなって思ってしまいましてね・・・。

その点御社の社長は創業者だから当然ビジネス上の嗅覚は優れているでしょうしやるべき対応をきちんと伝えれば考えてくれると思うんですよ。

俺も今の会社は長いんで散々努力し散々我慢もしてきました。でも、ここは転職リスクを負ってでも挑戦しないと自分の未来は拓けないだろうなってのが正直な気持ちです。」

 

となります。まあ実際この程度であれば大丈夫な会社はあります。

しかし堅い会社では無理でしょうね。

 

詰まるところ自分の会社に100%満足しているなら誰も転職はしないわけで、転職時にその不満な点を伝えないようにしましょうってのは転職者の意志をあいまいに見せてしまってお互い不幸なんじゃないのという話です。