上海に居ながら日本を考える

上海にやたら長く住む日本人が中国と日本を比較しながら様々なことに思いを馳せるよ

悲惨なニュースについて

タイトルだけはどうしても目に入ってしまうのですが、5歳の女の子が親からの虐待で殺されたというニュースがあります。

 

しかし僕はこのニュースをクリックすることができません。その痛みに耐えられないと思うから。

Facebookでも友人たちがこのニュースをシェアし憤慨と怒りの表明をしています。

しかし僕にはどうして子供を持つ親としてそのニュースを読むことができるのかがわからないのです。

 

共感性羞恥という言葉が最近取りざたされますが、これは共感性悲哀とでも名付けるべきか、原理は同じだと思います。

芸になっていない芸人とかを見るともう恥ずかしくてとてもじゃないけど見続けることができないです。

 

同様に悲しすぎるニュースは読むことができません。だって見てももうその子を助けることはできないから。ならば知らない方がマシだと思ってしまいます。

 

子供と動物関係の悲しいニュースはダメですね・・

かわいそうなぞう」という絵本がありますね。あれもなぜそんな悲しい話をわざわざ読まされるのか理解ができません。もうぞうを助けられないのに。

感受性が育つとでも思っているのでしょうか?

心が殺されて不感症になってしまうだけのように思えてしまいます。

 

悲惨なニュースを読み、共感し、SNSに自分が如何にこのニュースに怒っているかを発信できる人。

僕にはあなたが理解できないのです。